鈴木杏樹の出身はどこ?インターナショナルスクール出身でイギリス歌手デビューも!【昔の画像有】

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現在53歳というのが信じられない美貌の持ち主の鈴木杏樹さんは、大阪の北部・箕面市出身です。テレビでは標準語を話す鈴木杏樹さんは実は関西弁も英語もペラペラとか。女優のイメージが強い鈴木杏樹さんですが、昔のデビューはイギリスで歌手としてです。女優として活躍するまでに至った意外な経緯についてまとめてみました。

鈴木杏樹の出身はどこ?

鈴木杏樹さんは大阪府箕面市出身で父親、母親の他、弟がいる事が分かっています。

その後、神戸のインターナショナルスクールであるマリスト国際学校中等部へ進学。高校は内部進学で在学中の17歳の時に、当時歌手を目指すために通っていた音楽学校でCBSソニーの山口百恵さんを担当していた酒井政利さんにスカウトされる。

「日本人歌手を海外でデビューさせよう」という企画が当時、会社で持ち上がり、英語の話せた鈴木杏樹さんがイギリス、ロンドンに行くこととなります。そしてマリスト国際学校高等部を中退。(後に都立上野高等学校・通信制を卒業しています。)

鈴木杏樹さんのお母様は国際線のキャビンアテンダントをしており、海外での活動に対して抵抗もなく、「大丈夫よ、できるわよ」と背中を押してくれたそうです。

当時、ロンドンでの彼女のマネジメントをしていた日本人男性の交友関係で元チェッカーズのフミヤさんや吉川晃司、布袋寅泰さんなどともお会いする事があったのだとか。

関西出身の鈴木杏樹さんが関西弁を話すのを見て、その時フミヤさんに「KAKKOちゃん(鈴木杏樹の当初の芸名)はバタくさい顔してるし、ロンドンデビューという肩書きになるんだから、帰国までに標準語を話せるようになったほうがいいよ」とアドバイスをもらい、そこから標準語を勉強するようになったそうです。

さらにはこんな大物芸能人にも・・・

帰国してから明石家さんまさんと所ジョージさんの番組に出していただいたとき、さんまさんに釣られてちょっと関西弁が出たことがあったんですよ。そしたら所さんに「あなたは関西弁が似合わないから、こんなおじさんに釣られないで標準語を貫けるようにしなさい」と言われて。改めて標準語を大事にしようと思ったことがあります

引用元:音楽ナタリー

私も最初、「え!鈴木杏樹って関西出身なんだ。」とビックリした記憶があります。

もともと、女優の鈴木杏樹さんしか知らなかったので、その時には既に標準語をマスターされていたんですね。関西出身だとは思いませんでした。

鈴木杏樹はイギリスで歌手デビューしていた!

高校を中退して単身ロンドンへ渡った後、杏樹さんは一年間ほど音楽制作の現場を見ながら学んだりお茶くみをしたり他の人の仕事を手伝ったりと裏方業もしながらデビュー出来るチャンスを待っていたようです。

デビュー曲はこちら!

本名が香公子(かくこ)でニックネームが”カッコ”だったから芸名が”KAKKO”になったとの事。

デビューシングル「We Should Be Dancing」がリリースされ、ラジオやテレビにも沢山出演したそうです。

そして実は割とすぐに日本で東京パフォーマンスドールの穴井夕子さんがカバー曲としてリリースします。

そしてなんとその日本語歌詞を書いたのが鈴木杏樹さんご本人だとか。

なぜ歌手から女優に転向したのか?

念願の歌手としてロンドンでデビューした鈴木杏樹さんはこのままイギリスに残るのか日本でデビューするのか迷っていたそうです。

そんな時に湾岸戦争が勃発し一時帰国する事になります。その帰国した際に穴井夕子さんのカバー曲の日本語歌詞をソニーから頼まれ書いたそうです。

なかなか湾岸戦争が収束せず、イギリスのCBS UKとの契約が残っており日本で歌手活動が出来なかったため、事務所になんでもいいので仕事させて欲しいと願い出ます。

資生堂「セレンシュア」のCMや、「オールナイトフジ」の後番組「ヤマタノオロチ」(フジテレビの深夜バラエティ番組)のアシスタントで出演します。

女優として「十年愛」で田中美佐子と共演。そして「鈴木杏樹」がだんだん世間に知られるようになった頃、湾岸戦争が落ち着きます。

タイミング的に彼女が「演技を頑張りたい」と思った時期だったので、「今はお芝居に集中したい」という事で日本にとどまる事になったそうです。

女優としての鈴木杏樹さんは多くの方がご存じですが、歌手だったという事は私も含め知らない方もいらっしゃるのではないでしょうか。

しかし裏では彼女が歌手だった事を知ってる方が多いので、その関係で音楽関係のお仕事に携わる事も多かったのだとか。その代表が「MUSIC FAIR」(フジテレビ系で放送中の音楽番組。彼女は1995年から2016年まで総合司会を担当)ですよね。

ロンドンにいた時期も彼女の仕事に対する勤勉さが分かるインタビューがありました。

私も当時はがむしゃらで、とにかく音楽を体に染み込ませなきゃと思っていたから、「TIMES」という日本の「ぴあ」みたいな雑誌に掲載されている音楽ライブをAからZまで全部1枚ずつチケットを買っていたんです。知らないアーティストも含め、ありとあらゆるコンサートを観に行ったので、中にはビックリしちゃうヘヴィメタルとかもあったりして(笑)。でもそのおかげで今、「あのときのあのコンサート観たことありますよ」というお話ができたりしますし、火薬をたくさん使えたり、スピーカーがいつもより多かったりする、日本では観られないステージも勉強になりましたね。

引用元:音楽ナタリー

積極的に取り組んでいた結果が現在の仕事につながっているのですね。

そういう陰ながらのコツコツ取り組む姿勢が鈴木杏樹さんの魅力なのだなと感じました。

まとめ

女優の鈴木杏樹さんの出身は大阪府箕面市で兵庫県の神戸で中学・高校と学生時代を過ごします。

歌手になるのが夢だった鈴木杏樹さんは17歳の時にスカウトされ、なんとイギリスのロンドンで”KAKKO”として歌手デビューします。

精力的に歌手として活動する中、湾岸戦争が勃発し一時帰国を余儀なくされます。

契約上、日本で歌手として活動出来ない時期に女優としての才能に目覚め、湾岸戦争終息後も日本で活動する事を決めます。

歌手として活動していた経験も生かしながら現在も精力的に活動し、今後も目が離せない女優さんです。

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