三木康一郎監督のwikiプロフに経歴は?イライラ棒の考案者だった!?

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こんにちは!管理人のyukariです。

女優・奈緒さん主演の映画「先生の白い嘘」の監督である三木康一郎氏は、大人気漫画「弱虫ペダル」の実写版映画や岩田剛典&高畑充希のW主演映画「植物図鑑 運命の恋、ひろいました」の監督もされています。

三木康一郎氏は実はバラエティー番組の演出出身という異色の経歴の持ち主です。

一体どんな人物なのか気になりますよね。

・三木康一郎のプロフィールに経歴を詳しく知りたい!
・三木康一郎があの有名バラエティー番組の演出をしていたって本当?

今回はこちらの疑問について調べてまとめてみました。

三木康一郎(みき・こういちろう)のプロフィール

画像:LANDOER

1970年12月7日生まれの53歳(2024年7月現在)

富山県出身。

日本の映画監督。演出家。

もともとはデザインや建築の世界を目指していたものの、早々に夢に破れ21歳の時にテレビの制作会社のアルバイトを始めた事が映像業界に入ったきっかけだそうです。

デザインやファッション(家の家具にもこだわりがある)が好きで、そういった面でも映画の中の映像にこだわりがあるようです。

三木康一郎の経歴

21歳の時にたまたま受かったアルバイトの面接が、バラエティー番組を制作している会社でした。

そこからアルバイトでバラエティー番組の制作に携わるようになります。

その中でも1995年から放送されたバラエティ番組「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!」で大きな功績を残します。

三木氏がアイデアを出して発案したこの「イライラ棒」が大ヒット企画となったのです。

な、なつかし~!

家族で見てたなぁ。

この「イライラ棒」の企画が大ヒットして、三木氏はテレビ朝日社長賞を受賞。

そして、27、28歳の時にバラエティ番組でトップに位置する総合演出をまかされるようになります。

しかし、ずっとこれをやって行くのかな?と立ち止まり、30歳を前にスッパリ辞めたそうです。

そこからドラマなども全くやった事がなかったにもかかわらず、手伝いという形でいくつかのドラマで勉強させてもらいます。

30歳はほとんど仕事がなかった

すぐにドラマ業界で芽が出たわけではありませんでした。

三木康一郎氏は30代後半まで仕事がなく、放送作家の小山薫堂さんの仕事を手伝いながら食いつないでいたそうです。

転機となった作品が2007年に演出と脚本を手掛けた「トリハダ~夜ふかしのあなたにゾクッとする話を」シリーズから映画監督デビューとなった2012年の「トリハダ‐劇場版‐」へとつながります。

三木康一郎監督の作品

三木監督の作品はテレビに映画、BLに少女漫画の実写版映画など多種多様な作品を手掛けていらっしゃいます。

2016年 岩田剛典&高畑充希のW主演映画「植物図鑑 運命の恋、ひろいました」
2017年 リベンジgirl
2020年 映画「弱虫ペダル」
2020年~2023年 ドラマ「来世ではちゃんとします1~3」
2021年 映画「ポルノグラファー~プレイバック~」
2024年 映画「恋わずらいのエリー」
2024年 ドラマ「過保護な若旦那の甘やかし婚」
2024年 映画「先生の白い嘘」

※一部です。

三木監督がどの作品に対しても共通して言える事が、「この作品で原作者は何を言いたくて、どうしたかったのか」を大切にしているそうです。

監督が原作を読んだ時の解釈ではなく、原作者の意図を探って映像化するという事を意識しているとか。

役者さんに関しては基本的に「自由にやってください」というスタンスで、役者が「原作や台本を読んでどう感じたか」を随時確認して、作品と役者の考えを合致させながら撮影しているそうです。

まとめ

今回は三木康一郎監督について調べてまとめてみました。

・三木康一郎監督のwikiプロフィール・経歴
・三木康一郎監督はテレビのバラエティ番組の演出家出身の映画監督である。
・三木康一郎監督はバラエティ番組「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!」のイライラ棒の考案者。

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