「デジキュー」って知っていますか?「使った事あるよ!」という方も多いのではないでしょうか。
全国バーベキュー場検索サイト「デジキュー」はBBQ場と利用者・運営者・産地食材をマッチングさせる場であり、現在の都市型レジャーの市場を引っ張る存在。
この「デジキュー」のサービスを運営する株式会社デジサーフの代表取締役社長・高橋佳伸さんは
一体どんな方なのでしょうか。
20歳でIT系企業に入社後、30歳でセミリタイアしていたというのですから気になりますよね。
今回はデジサーフ・高橋佳伸さんの現在までの経歴を追っていきたいと思います。
高橋佳伸(デジサーフ) の経歴
静岡県御殿場市で過ごす幼少期
御殿場市は富士山東南側の麓にあり、富士山と箱根の間に位置する平均標高500mの高原都市です。
自然環境豊かなこの土地を駆け回り育った高橋佳伸さんですが、両親が離婚し
佳伸さんと弟は板前をしていた父親に引き取られる。
父親は帰りが遅いため、父方の祖母の家で面倒をみてもらっていました。
父親がラーメン屋を開業するものの、失敗し借金取りが押し掛ける事もあったそうです。
高橋佳伸さんは奨学金で高校進学後、ミュージシャンになるため上京。
その後、ミュージシャンは諦め、未経験でしたがSES(System Engineering Service)の会社に就職する。
高橋佳伸のセミリタイア生活
性に合っていたのか入社一年後に会社でNo.1のITエンジニアになりました。
ほかの人が深夜残業して働いているのに、私はその日のタスクをさっさと終わらせて定時には退社。それも、ほかのメンバーがひとつの案件にかかりきりになっているのに、私の場合はひとりで複数の案件を抱えながら、です。
引用元:INOUZTimes
めちゃくちゃ優秀じゃないですか!
私は高橋さんの一回り下の世代ですけど、ITエンジニアは
とにかく残業多くてっていうイメージが強いです。
どれだけ人より仕事をこなそうが、給料はみんな一律。
会社に直談判しても全然、ラチがあかない。
入社2年目で独立を考え、個人事業としてSESの仕事を始めます。
経営は順調で、24歳のときにデジサーフの前身の有限会社を設立。
その頃には自分自身が現場に出ることはなくなり「人生はお金ではない」と思い、会社を成長させるでもなく、生活していける額以上は無理に働かず、もっぱらサーフィンをしていたそうです。
そして30歳の時にいよいよ本格的にスノーボードをやるために、山ではインストラクターをしながら大会を回り、GWに山を下りると波と雪を求めてインドネシア、オーストラリア、ニュージーランド,カナダなど一年中世界を転々と旅をして、サーフィンやスノーボード三昧生活を始めます。
いや、まさに皆が羨む生活!
私にも生まれ持った才能があったらなって思いますよね。
けれど、調べてる内に私なりに気付きました。
高橋佳伸さんの凄さの理由に!
高橋佳伸の復帰
8年のリタイヤ生活に終わりを告げ、高橋さんが経営者として最前線に戻ってきたのは2005年。
まだセミリタイヤ時期、海岸をジョギング中に「いつでも波の情報がわかればいいな」
という想いから、海岸ライブカメラを各地に設置してWEBサイトで公開するアイデアが
生まれます。
「いつでも波の情報がわかればいいな」というのは、サーファーの多くが感じていた事でした。
その解決策を考えて、実際に行動された出来たのが『波通』です。
『波通』は映像を買ってくれている会社から譲渡を受けます。
これらの収入だけで生活出来たので、夏はサーフィン、冬はスノーボードをして
遊んで暮らしていたそうですよ。
さらには『スノーボード大会のWeb予約システム』を作り、大会を主催するスノーボード協会やスキー連盟に導入へとこぎ着けます。
これが上手く起動した事からつながり、自治体の公園管理者の方から、BBQ場のWeb予約システムを作ってくれないかと依頼されます。
そして本来、入札でどこに依頼するか決まるのを、高橋さんはすぐに「0円でいいのでやらせてください」と言います。
初期費用0円で、随意契約という形をとります。これを瞬時に判断できる高橋さんが凄いですよね。
皆さん、どうでしたか?
とてもシンプルだけれど、出来ている人がどれだけいるのか。
私たちの生活の疑問の中には新しいビジネスチャンスが眠っているのかもしれないですね。
まとめ
今回は株式会社デジサーフの代表取締役社長・高橋佳伸さんについてまとめてみました。
・デジサーフ・高橋佳伸さんの経歴
・未経験から入社1年目で会社でNo.1のITエンジニアになる。
・サーフィンとスノボに明け暮れた8年間のセミリタイヤからの復帰。
・攻め続けることを恐れず、やり続けていればいつかは成功すると信じてきたからこそ今がある。
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